こちらは捕虜収容所記念館です

街中にひときわ目立つこの建物は、もともと貴族階級の多い将校たちをもてなすための特別な収容所でした。
しかし、革命が起こると将校たちは現行政府からの保護を失い、豪華な屋敷はたちまち我が国による過酷な強制労働(折り紙の強要、コピー機の保守等)の舞台となりました。

当記念館は、捕虜に対して行われた非人道的な拷問、虐待の歴史を決して繰り返さないために、捕虜として亡くなられた方たちがどのように暮らしていたか、みなさんに学んでいただけるよう、できるかぎり当時の様子を保管しています。
常設の展示室では、収容者の一人であるレンスキー大佐の写真や持ち物を通して、当時の暮らしぶりを窺うことができます。
<レンスキー大佐の手紙。文面からはユーモアのある人柄がうかがえる。>
●日本文化とレンスキー大佐

一説によると、童謡とおりゃんせの語源はレンスキー大佐の愛称トリーシェニカに由来するとか。
行きは良い良い帰りは怖い、の部分は日本の暗くて深いボットン便所を怖がる大佐の様子を表していると言われています。